わらべうた程度の重さで口をついて

エッセイと、時々質量140字の文章。

神様はフードコートにて

週末のフードコートは、ゆったりとした音楽が流れている。何処かで誰かが歌っていたような気がするのだが、曲名にはとうとう辿り着けなかった。流行りのパンケーキ屋だが、閉店一時間前とあって、客足も疎らである。端の席で、パンケーキをつついている私と、私を見つけた黒いマントの男が目を合わせるのに三秒も掛からなかった。
「死神、遅かったじゃん。てか、仕事着のまんまだし。こりゃ、名乗らなくても死神ってバレるよ」
仕事を終えた足で、そのまま来た彼を、視界の全部で笑い飛ばす私。
「二丁目の婆さんが急死したんだよ」
「あー、最近は冷え込んだしねえ」
彼の仕事は死神。指定された土地で、これから死ぬ者を迎えに行くのが仕事だ。命を刈り取る大鎌は、人間には見えないようにしてあるらしく、死神を凝視するような人間はいなかった。パンケーキにトッピングされたバナナを生クリームに擦り付けながら、死神は持ち味の生真面目さを話題に匂わせる。
「おまえ、○○町の方の仕事が雑って言われてたぞ」
私の仕事は守り神。指定された土地で生きる者、これから生まれてくる者を守るのが仕事である。
「私の管轄下、やたら広いんだよ…、さっさと全市民滅んで、小さい村とかに異動させてほしい」
「おいこら、守り神が言う台詞じゃねえぞ」
ぼやいて、行儀悪く突っ伏すような体勢で、フォークに付いたクリームを舐める私に、呆れ顔の死神。
「今度、こっちの地区で赤ん坊が二人ほど生まれてくるんだあ。母親が安産祈願しに来るらしい」
適当な相槌を打ちながらも、表情に憂いを見せる私に、死神が「どうした」と問う。彼が来る前にスマホで眺めてた、ネットで行われる袋叩き、人間の言葉で言うなら『炎上』を見せる。
「この『死ね』って言われた人間にも、相手を追い込んで勝ち誇る人間にも、生まれてきた時、泣いて喜んだ存在がいたり、生きてさえいてくれればいいっていう願いがあった。何だかなあって思うわけですよ」
力無くおちゃらけた口調になる私に、死神が飲み物を飲み込んで、ひとつひとつ大事にするように考えていた。
「俺は守る立場に無いから、大きな口は叩けないが。人間は想像力が足りないから弱いのかもな」
神様だって想像が及ばないことはあるからねと、私も言葉を重ねる。
「よく神様は全てを知ってると思ってる人間いるけどさ、大間違いだよ。例えば人間が勉強を頑張ってるから、受験に力を貸してくれって参拝した時も、手を合わせて報告された時点で初めて、こいつ受験生なんだって知るもん」
店内の音楽が沈黙して、また流れ始めた。次の曲は確か春に公開される映画の主題歌だ。サビしか知らないけれど。
「私が全部知ってりゃ、賽銭泥棒なんか鳥居を潜った瞬間、罰当てるよ」
「賽銭、盗られたのか?」
最近、若造にやられた!と嘆く私に、死神は乾いた笑みになりかけの口元で、守り神の苦労を労う。
「ぎっくり腰と両足捻挫と、全身打撲の罰を、後から当てた」
「賽銭泥棒の代償、デカいな」
最後の一口を同時に体内に収めたところで、死神はよっこらしょと腰を上げた。
「俺、鎌を職場に返してから帰るわ」
壁に立て掛けた大鎌の刃先が、キラリと光る。
「鎌って常に持ち歩けないの?」
てっきり、死神にとっての鎌は、生活の一部に溶け込んで、ずっと離れない物だと思っていた。
「死神も、人間みたいな癇癪を起こすことがあるかもしれないからな」
首を傾げる私に、彼はマントをふわりと翻す。
「要は、まだ死に時じゃない命を、刈り取ったりしないようにってこと」
神様も完全なる慈悲を信用されてないってことだと、死神はここに来て、一番優しそうに頬を弛めた。
外に出ると、月が冬の澄んだ空気で美しく見えた。にこにこしている私に、死神は「何かご機嫌だな。」とつられて笑う。神様は完全なる想像をできないし、完全なる慈悲を持てない。欲しかった答えに近いものをお揃いにしてもらったような気持ちになって、それが正反対の仕事をする私たちが、今日まで友達でいる理由だと思った。
「気ぃつけて帰れよ」
私の肩をポンと軽く叩いて、死神は夜闇に消えていった。

予防接種と私の進化

心療内科でインフルエンザの予防接種を受けてきた。
なんだろう、この一文だけで仄かに香る、牛丼屋で食べるカレーみたいなそれは。
新聞を見てもテレビを見ても、コロナコロナなご時世だ、一般の内科にホイホイと足を運ぶのも、何だか考えてしまうのだ。
そんな時、通っている心療内科でインフルエンザの予防接種、出来ますよという有難い話を聞いたので、これはお願いしてしまおうと。

事前に記入する、書類項目の『ひきつけを起こしたことがあるか?それはいつ頃?』という欄で、1歳の赤ん坊の頃のことも含まれるだろうかという攻防戦を頭の中で繰り広げたり、そこに看護師さんの、含まなくてOK!の一声で平和が訪れたりした後、いよいよ私の体にはワクチンがぶち込まれることに。
女性看護師さんが「痛くないおまじないしようか?」と、問う。
おまじないと言うので、私はてっきり、幼子にする
『痛いの痛いの飛んで行けー』
的なものだと思っていた。
だが、実際には針を打つ場所に、直前まで骨が軋むくらいの痛みを与えておくというものだった。
綺麗さっぱり、飛んでいく痛みなど無かったのだ。
これが大人になるということだろうか。

短めの針がちうっと腕の中に入る。
ここまでは痛みはほぼゼロで、本番はここから、薬を体内に押し込まれる時だ。
箇所が違うが、小顔マッサージで頬骨を力いっぱい指先で押さえる時の痛みに似ていた。

そんなこんなで予防接種は無事に終わった。
家で母親に報告すれば、真っ先に聞かれたのは
「暴れなかった?」
「噛みついたり、引っ掻いたりしなかった?」

という質問である。
そんな悪いことしないやいと笑えば、否、前科があるから…と母は遠い目をする。
幼少期、注射も病院も大嫌いで、抑えつけるお医者さんや看護師さんに噛みついたり、爪を立てて引っ掻いたりと、本気の威嚇をしていたそうだ。
動物の生き残る本能を感じると言われていたと。
声一つ上げずに、注射されてきた私。
これが大人になるということだ。
否、私の場合、動物から人間になるということか?

犬にも猫にもなれないで

『自分にこんなにも良くしてくれる、この人たちは神様に違いない』

 

と思うのが犬で

 

『この人たちがこんなにも良くしてくれる、自分は神様に違いない』

 

と思うのが猫である。

 

健気で忠実な犬と、図々しく堂々と生きる猫の、それぞれの愛くるしいポイントが、真反対の方向に突っ走っているのを、これほど分かりやすく言い得た言葉があるだろうか。
犬派猫派という、不毛にて平和な派閥があるのも納得である。

 

ならば、人はどうだろう。
他人にびっくりするほど良くされたら、どんなふうに自分の中で、そのびっくりを消化するのだろう。
「あの人は子犬のような人だ」とか「猫みたいにマイペースね」とか、犬や猫に一部分を喩えられる人は結構いるが、その全てが犬ほど健気になれるか、猫ほど堂々としていられるかと言えば、難しい話だと思う。

 

『自分にこんなにも良くしてくれる、この人たちは何を企んでいるのだろう?』

 

と疑ってかかるのが、人の大半なのではないかと私は思う。
犬や猫と違い、人は他者から与えられた愛に、お金や物を返さなければいけない。
愛嬌を振り撒いて、尻尾を振ってるだけではどうにもならないことが山ほどあることを知っているから、やたらと良くされると身構えるのだ。

 

私は犬にも猫にもなれないし、なのに、人になれる基準値までも大きく下回っている。
なんて、卑屈な思考に叩き落とされがちなのは、私の悪い癖だから、何になろう?と肯定的に、希望を持って考えてみることにする。
誰かの喉を潤す水?誰かの薬になる草?
案を出していくと、どうも私は、他者の心の何処かに、自分がいてもいい居場所があればいいなと考えてるところがあるようだ。
液体でも固体でも気体でも、拘りはない。

 

そうだ、誰かの概念になろう。

 

我ながら良いアイディアに落ち着いた。
誰かにとっては優しさで思い出せる存在に、誰かにとっては薬のような苦味を残す存在に。
その時々で、幾らでも修正可能で、古い風のように忘れる人は気軽に忘れていける。
そんな概念になりたい。

要らない子が星になる話

要らない子が星になる話をした。
なんて美しい物語でしょうと、トロンとした目で見つめてくる博士は、要らない子になった経験が無いのだと分かったし、外国にいる路上暮らしの幼子は、自分が生きるための必要不必要で精一杯。
都会の物言わぬことをモットーとする人形が、わりと共感して泣いてくれた。

永遠の陽炎

あなたに指を差してもらう、陽炎になりたかった夏があったんだ。
影を侍らす人が、いるのかいないのかもはっきりしない、概念みたいなものになれるわけないが、その夢はあなたを殺す心配の無い夏にしか抱けなくて。
きっともう時効になっちゃったなあ。
僕はもう、永遠に陽炎にはなれないのだなあ。